前歯の指す方向

もう一度あの日に戻るとしても 同じ路選ぶだろう

リモート参列で祖父と最期のお別れをした

ジャニオタとその親戚が乗り切ったコロナ禍の経験について記録しておこうと思う。同じような境遇となる人が一人でも少ない平穏な世の中になることを切に願っています。 

 

小さな頃に見た 高く飛んでいくカイト

離さないよう ぎゅっと強く 握り締めていた糸

 

この曲が発売されたころ祖父が他界した。90歳。

 

私は関東から2時間ほど新幹線で移動した某県出身。母方の祖父母と正確には同じ家には住んでいなかったものの目と鼻の先に住まいがあり、実家を出るまでは毎日顔を合わせていた距離感。数年前の白内障の手術くらいしか病気や怪我はない、誰よりも健康で元気な祖父。食べ物の好き嫌いはなく、年末年始は実家で一緒にお酒を飲んでいた祖父。昔よりは体力も衰えて物忘れをすることもあったが、そもそもの体力はインドア引きこもり怠け者の私よりもあって、親戚はもちろん知人の名前を忘れることもなく難しいこともよく知っている物知りなままで、この何年かは詩吟に熱中して師範の資格までとっていた。

 

  • コロナ禍での入院

実家から突然「祖父の様子がおかしい」と連絡を受けたのが5月の終わり。6月に病気が見つかり入院、はじめは週末の一時外泊が認められて家に帰れていたものの、最後の半月は体調が悪化していたらしい。全てがここ2ヶ月の話だ。

 

病室は個室だったが、コロナ予防のために家族であっても入室することができず、祖母や娘である母が毎日着替えなどを看護師さんに預けていると聞いていた。何の心の準備もなかったために祖母のショックは大きく、夜残業の合間をぬって連絡をすると毎回電話口で泣かれてしまうのだった。祖母は気が強くてこんなに弱っているところを見たことがなかった。

 

祖父には自分を含め孫が4人いる。私と血縁者、従妹、一番下の従弟、全員が転勤や進学で県外にいる。入院する前の段階で詳細を知らされていた孫は自分だけ。入院したタイミングで他の3人にも知らされることとなったが、この状況下でお見舞いに行くことができない。夏を越せるかどうか知っていたのも自分だけらしい。

 

祖父が一時帰宅のタイミングで母や叔父がLINEのテレビ通話をつなぎ、それぞれの孫と会話をした。祖父は視力が良いので手元の小さな画面でもきちんと見ることができたようだ。

 

(実は自分だけコロナが一瞬落ち着いた6月下旬にほんのわずかな時間に帰省し、一時帰宅した祖父の顔を距離をとって見ることができた。祖父にとって孫と最期に会えたタイミングだった)

 

  • 突然の訃報

ある週の半ば、外での打ち合わせを終えて18:00過ぎにスマホを見ると3時間前からかなりの件数のメッセージが届いていた。打ち合わせ中、背もたれにおいたバッグで私用スマホがひっきりなしに鳴っていることは気づいていたが、それが祖父の死を知らせるものだとは露ほど思ってもいなかった。

 

急いで実家に電話をかけると母が出た。電話で伝えられたことを咀嚼すると「祖父が亡くなった」「通夜と葬儀に日時はまだ決まっていないが孫は全員参列は見送る」「手紙を棺に入れたいので急いで書いて送ってほしい」

 

そして叔父によって、孫4人と母、叔父のグループLINEが作られ「あいちゃん(自分)よろしく」とお前がまとめておいてくれといわんばかりのメッセージが入った。

 

この日のうちに従妹と電話で連絡をとる中で「孫が全員参列できないのは仕方ない、でもどうにか別の方法を考えたい」となり、母と叔父へ「当日オンラインでつないでもらえないか」と申し入れた。通夜と葬儀が週末に決まり、時間的に調整する余裕はまだあった。実家から会場側に打診することになりこの日はは終了。

 

正直実感がなかったが、翌日中に孫全員は速達で手紙を出すことにした。その日のうちに上司には連絡をして、参列はしないが2日後に忌引きをとりたい旨を伝える。

 

 

 ここからの話の前提として、私たち親戚の繋がりが強い。

 ・全員の共通する血である曽祖父と曽祖母が10数年前まで生きていたこと

・祖母が何人かいる姉妹の長女であり他界した祖父が婿養子であること、祖父をはじめ各代の一番年長者が女であり姉と弟の組み合わせが多いこと(=女が強い)

・母の代がその配偶者を含めてほぼ全員同じ専門職を仕事としていること(この部分が今回大きな課題となる)

・私たち以外のほぼ全員が実家の近くに住んでいること

などが理由だと思われ、これがあったから乗り切れた部分がかなり大きい。

 

  • 現実を受け止める方法の模索

翌日、外での打ち合わせが続く合間にカフェで手紙を書いた。いや〜しんどかった〜〜〜〜〜〜〜急に実感が湧いてしまって、泣きたいのに泣けず堪えていたら鼻水が滝のように出る。感情の波が激し過ぎて何度も書き直していたら打ち合わせ→カフェ→打ち合わせ→カフェで、郵便窓口の営業ギリギリの時間に出すことになってしまった。

 

業務が一番多く重なっている同僚には前日のうちに連絡をして午前の打ち合わせは欠席していいからという配慮をしてもらった。このおかげで、その時間を親戚とのオンライン相談に充てることができた。

 

(将来古い価値観のクソババアにはなりたくないが、一緒に仕事をしている社内のメンバーには忌引きの連絡をいれたところ、上記の同僚以外は当日中に電話で連絡をした上司を含め誰一人からもお悔やみの言葉はなかった。お悔やみの言葉がほしいわけではないが、自分は社会人になって初めて忌引きの連絡をもらった際に返信内容はググったことを思い出した。通常の会社員はこんなものなのか?)

 

オンライン云々について葬儀社から返ってきたのはNO。なぜならwifiがないからと。じゃあこちらがwifiや端末をレンタルするから使ってくれと言うと、葬儀社としては手伝えないと言う。

 

こんなやりとりをグループLINEで繰り広げていると、仕事が休みだった従妹が「じゃあ手伝わない方法でやっちゃえばいいじゃん」と頑なに主張しリモート参列強硬派になった。

 

強硬派の誕生によりリモート参列方法を考えざるを得なくなった実家組だったが、次の課題が浮かび上がってきた。

 

①会場にwifiがない(レンタルも検討したが、個人的には6月にオンライン出張を試みた際、レンタルで不良品のwifiを送られなかなか代替機の対応をしてもらえなかったトラウマがある)(余計な手間を省くために現地にいる人たちのパケット通信内でなんとかしたい)

 

②母の代の親戚が全員同じ専門職でリモート○○に無縁であること(仕事でPCは使うものの定型の資料づくりなどが主でGooglemeetやZoomは使わない)

 

③リモート○○に最も慣れているだろう私たちが現場におらず、そのほかの親戚は中高生が多いためやはりリモート○○とは縁が薄い(大学生のようにオンライン授業を受けているわけではない)

 

④葬儀社の対応がとても悪い(祖母が葬儀社に電話でキレて、謝罪に来てもなお対応が悪いところを親戚たちが目撃している)

 

あれこれ考える中で浮上したのがLINEのテレビ電話をつなぐ方法。複数人でつなぐと画面が分割されて小さくなってしまうが、一対一でつなぐのはどうだろうか?

 

①はパケット通信内でおさめられそうなのでクリア

②も使い慣れているLINEであればクリア

③は地元にいる若い社会人のはとこ(24歳)に仕切ってもらえば大丈夫そう

④もテレビ電話を繋ぐ旨を了承してもらえれば協力を仰げなくても問題ない

 

考えうるベストの方法を見つけたものの、その後も夜まで続く社内会議。強硬派は「Zoomがいい〜〜〜」と言い出したが一旦スルー。急いで帰宅しても21:00近かったが今日中の方が良いだろうと思い、協力を依頼する人へ電話をかけることに。年の離れた妹のように可愛がってくれていた母のいとこたち3人(祖父にとっての甥姪)とそして一番頼みの綱の24歳。

 

母のいとこたち3人に「可愛いあいちゃんから一生のお願いなんだけど」とあんたはJKか!?年齢考えろ?ばりの一言を切り出して話すと全員がすんなりOK。「孫が全員来られないのに日中に葬儀社の人がオンラインは無理って言い続けてるのを見ちゃって、一緒にいた親戚たちで何かできないかって言ってたんだよ。使えるものは何でも使ってほしいしその場にいる親戚全員が協力するよ」「こっちはみんなで思いの共有したり思い出話したりできてるけど、4人はそれぞれ一人だから同じ気持ちの人がそばにいなくてつらよね」とのこと。泣いちゃう。

 

でも実際にこの言葉通りで、この時はまだ実感がもてなかったけれど正直翌日はかなりつらいことになった。

 

24歳にも「お姉ちゃん大丈夫?つらいよね?」と気遣われるアラサー。母世代と同じ職種ではあるもののさすがは若い世代だけあって、業務に使わずともリモートなんちゃら系には疎くない。これは成功したも同然で非常に話が早くなった。「Zoomで一斉じゃなくてもいいの?」という議論もあったが、有料アカウントにしなければならないこと、映す側にwifiがなく回線が不安なこと、何より複数人が入って顔を出して見ると感情に浸れない人が出てくるかも…という懸念から「やっぱり一対一の方が良いね」となった。

 

「スタンドはどうする?こっちで買っておく?」と言われて気づく。強硬派は100均にあるようなデスクに置くスタンドで良いと言っていたが、どの距離でどの高さに置かせてもらえるかわからない。24歳が翌日の夜は早めに職場を出て買いに行くと言ってくれたので、それまでに置き場所などを確認することに。

 

協力者やその周りもLINEグループに入れて、友達少なめ根暗にとって最大のLINEグループ(10数人)がここに誕生。LINEはインフラ。

 

  • 最後の調整

一報を受けて2日後に忌引き。とはいっても家でぼちぼち仕事をしながらの調整。振り返ると自分も強硬派も休みをとっていて良かったと思う。

 

祖父にとっての甥(母の従弟)が一人、会社員として地元の企業に勤めながらも昨年から東北地方へ転勤している。参列できないことをとても残念がっていたらしいが、親族たちが団結してリモート案をぶち上げていることを知ると、俺にもつないでもらえないかと実家へ連絡があり、24歳の弟(高校生)のスマホを追加して5台それぞれでつなげることになった。

 

午前中の葬儀社との確認で、コロナ予防のために通常より席の数も減らし間隔も広くとっているため、スマホを置くための長机が置けないことが発覚。午前の段階で強硬派が起きてなさそうだったので独断で三脚を買うことにした。さすがに24歳に5台買ってもらうのは気がひける。引きこもり御用達AmazonPrimeのおかげで翌日午前に届く三脚を見つけて5台購入。

 

三脚が実家に届く旨と、LINE通話の組み合わせをグループに投稿して午前は終了。NGの組み合わせがあるわけではないが、Zoomだのなんだの言っている強硬派は24歳と組ませた。

 

昼になると母から「おじいちゃんの顔見る?」とテレビ電話が入り、画面越しではあったけれど最期に会わせてもらうことができた。ここで一気に実感がわいてきて初めて言葉が出ないほど泣いてしまった…少し痩せてはいたけれど普通の寝顔と変わらなくて何も話しかけられなかった…つらい…だけど同じ気持ちの人が同じ空間にいない…

 

これは別の時間に見せてもらった血縁者やいとこたちも同じで、ようやく現実のこととして受け止めることができた瞬間だった。

 

その後祖母に代わって画面越しに話そうとしたけれど「あんたの顔見ると泣いちゃうだよ!今から蕎麦を食べるだから!」とボロボロ泣きながら切られてしまった(母か叔父に一度代わってほしかったのだが?)実家には連日親戚みんなが集まってくれて祖母もちゃんと睡眠をとって食べていることに安心した。

 

昼過ぎに強硬派が起床。「三脚とか諸々ありがとね〜やっぱりLINEだと自分の回線が安定しないからZoomにしたい」となり、仕事終わりの24歳と一緒に強硬派のZoomテストに立ち会いつつ翌日の確認をすることにした。24歳のスマホにはZoomがすでに入っていたし、そのほかについても話が早くて助かった。24歳を現場監督に任命。小さい頃から見ているといつまでも年下扱いしてしまうけれど、こんなに頼れるほどに大人になったんだなあとしみじみと成長を感じた…

 

ここで決めたことは

・現場の音声はスピーカーホン、画面は横に回転

・受け手の音声はミュート

・本番前にそれぞれ一度見え方と音声のチェック

・もし誰かのLINEが落ちたら強硬派のZoomに入る(40分までなら無料)

・強硬派のZoomが落ちたら私の通話に入る

 

これをグループLINEに投稿すると次々に送られてくる了解のスタンプ。強硬派が「パケット代が月末に危なくなったら施主に請求してください。3時間で1ギガ消費、だいたい1000円〜1500円」の補足をしたのは笑ってしまったし、施主(叔父)からの「明日は18:00から、明後日は13:00からの配信になります」はSHOCKの開演時間かと思った(違います!!オタク脳シャラップ!!)

 

  • 通夜(約45分)

 午前中に無事三脚が実家に到着し、Amazomの90%オフの三脚だったので実物を見れなくて不安だったが全て問題なく立たせられるようだった。他の参列者とのトラブルにならないよう、参列へのお礼とともに「コロナ予防のために参列できなかった親族へ会場内にカメラを設置してオンライン配信しております」の張り紙を父が作成し会場へ持参。

 

夕方に親族たちが思い出の写真のコーナーや祭壇の写真をいろんなアングルでLINEグループに送ってくれた。嬉しいという言葉が適切かわからないけれど、でも嬉しかった。幼い頃に一緒にとった写真、金婚式に子供と孫全員でお祝いした写真、自分が作成したダイヤモンド婚を祝う寄せ書き。祭壇も立派だった。

 

24歳現場監督からの「今からつないでみます!」の投稿を受けて、黒いトップスに着替えて少し早めに見え方のテスト。最初は祭壇の方を見せてくれていたものの「ちょっと待ってね」とインカメに。「あら〜あいちゃんだ〜!聞こえる?ねえちょっと、あんたも見てみ!」とマスクをつけた祖母、祖母の妹たち、そしておじさんたちが代わる代わる登場。「マスクつけた私が誰かわかるかい?」クイズ(難易度:星ゼロ)が次々行われた。

 

横や後方で「監督!画面横にならない!」という声があがっては、走り回る監督(この頃には24歳がLINEでも監督呼びされるようになっていた)つながるとあちこちでくり広がられる「マスクつけた私が誰かわかるかい?」クイズ。

 

準備は慌ただしかったと思うが、リモートで無事に通夜に参加することができた。自分の画面は本来自分が座っていた位置のすぐ後ろで、母の背中が映り込んでいた。PCから目を逸らすと目に入るのはいつも食事をしている机、モンスターズインクのスマホ置き、さっきまで麦茶を飲んでいた黒のカップ…終始肩を震わせ続ける母の背中をどうすることもできず、ただ見ていることしかできない苦しさが募った。

 

終わったあとにスマホをもって移動して棺を見せてくれた。火葬場の関係から翌日は葬儀の前に出棺、火葬のスケジュールになっており、顔が見れる最期のタイミングだった。

 

出棺は孫にかわって母のいとこたちが行列に入ってくれることになっていたため、午前の配信はなしの予定だったが、監督が「30分なら全員Zoomに入れて流すよ」と申し出てくれた。次々に「明日も頑張るからね」「みんなで見送ろうね」と言ってくれて優しさを感じる。

 

叔父たちが男みんなで夜の晩をして飲みながら語り合うと言い出したので、「私も嵐にしやがれ見ながら飲んで浅く寝るかな」と伝えると強硬派は「切なくなってもう飲んだわ、朝早いからおやすみ」直後に飲んだのか。はえぇよ。

 

  • 出棺(約30分)と葬儀(約2時間弱)

朝早く起床。黒いトップスに着替えて窓を閉めクーラーをつける。親戚からも「今日もよろしくお願いします」「今から向かいます」というメッセージが続々入ってリモート組もスタンバイ。

 

9:00からの出棺を監督のスマホから全員につなげてもらい、最期だから顔を出そうということで全員カメラをONに(従弟の背景設定が某球団のままなのに気付いたが無駄につっこむのはやめた。彼は背景設定を忘れていたらしくそのあとに悔やんでいた)

 

通信が終わり全員が火葬場に行ってしまうと、疲れに襲われながら急に手持ち無沙汰になる。テレビをつけてボーッとしていると強硬派から「なんか落ち着かない」とLINEが。「シューイチのマジすか見てる」と伝えると「まだそんな時間か、見るわ」と返された後の自分の記憶がない(寝落ち)

 

ハッと目を覚ますと11:30。昼ごはんを食べる気も起きず、嵐のNETFLIX最新エピソードを見ていると強硬派からも「寝てた、アラームかけててよかった」と計画的昼寝の報告がくる(自分は不慮の昼寝)血の繋がったシンメ感。振り返ってもこの時間が最も落ち着かなかった。

 

午後からの葬儀は初七日法要も兼ねていたため2時間弱。親戚たちもギリギリまで充電をしてバッテリー残量を増やしてくれていた。

 

葬儀にはすでに遺影と骨だけになってしまった祖父。目の前のPCからお経が流れてくるが、またしても2日前のような実感のなさに襲われる。祖父の知人が弔辞を読み上げてくれているが、祖父の名前を出しながらも他の誰かの話のような気がしてならない。2人からの弔辞が終わっても実感のなさが続く。まだ祖父の体がある気がしてしまう。

 

弔辞に続いて「本日参列できなかったお孫さんからのお手紙です」とアナウンスが入った。私たちの手紙は棺に入れられていたが、コピーしたものを司会者に渡してくれたらしい。全員分を抜粋ではなく全文読まれたので、そこそこの時間が割かれたのではないか。「6月に持って行ったゼリーは高くて美味しいから、まだ食べずに仏壇にお供えしたままなら天国で食べて」という文もそのまま読まれた上に、司会者から「ゼリーはご家族によって棺に納めさせていただきました」と知らされる。そうなの!?!?!?

 

一番下の従弟の手紙が読み終えられた頃には体から水分という水分が抜けてしまっていた。示し合わせたわけでもないのに4人全員が「自慢のおじいちゃんでした」と書いた、人徳のある祖父はもうこの世にいない。

 

  • まとめ

最後にまとめを書いておく。

 

リモートでも参列できて良かった。あるのとないとでは全く気持ちが違った気がする。

というのが孫全員の総括だ。この2ヶ月で状況が一変してしまったために、きっと全くの実感がないままだった。もう一人リモート参列した「おじさんの最期の見送りに参加できて良かった」と言ってくれている。

 

リモート参列など失礼だと思われるかもしれないし、味気ないかもしれないし、一般の方から見たら気分良くないかもしれないし、批判する人もいるだろう。

 

でも家族の不幸にも駆け付けられないのが2020年の現実なのだ。もし参列者の誰かがこの後に体調を悪くしたら、「もしかして○○さんちの孫の誰かがコロナを持ってきてしまったのでは?」となることもないとは言い切れない。申し訳なさと悔しさでいっぱいだったが、この判断を祖父は褒めてくれるのではないかと思う。

 

体調が悪くなってから他界までが急すぎて会うことができなかったため、当初は実感がないことに焦るほどだった。それでも親戚の協力があって、その場の雰囲気がわかったし、和尚さんの言葉も聞けたし、家で実感がないまま思いを馳せるよりもきちんと喪失感と感謝の気持ちを整理することができた。

 

また、こういうタイミングにこういう形になってしまったけれど祖母や両親、親戚のみんなにも顔を見せることができた。参列していたご高齢の一部の方々が「こんなタイミングでお孫さんの顔が見れておじいさんも喜んでるね」「私もスマートフォンにしてお盆に孫と話そうかしら」と言ってくださっていたらしい。

 

現場では監督の指示のもと総出で対応してくれたと聞いて感謝しかない。終わった後に「何かできないかと思っていたところにあいちゃんから電話があって頼ってくれたことが本当に嬉しかった、改めて繋がりの大切さを実感した」とみんなで話していたみたいで、曽祖父母が長生きしてこうした結束力を残してくれたことにありがとうの気持ちでいっぱいになった。

 

三脚は希望する親戚にあげることにした。私はいらないのかと気を遣われたが「ご存知の通り外では居酒屋かカラオケでしか元気にならない人間なので使う機会がございません」と伝えたら、みんな納得してじゃあ我が家で使うねと次々に持って帰ってくれた。

 

約半月後に四十九日があるが、この状況を鑑みると帰れる望みは薄い。納骨も行うため次帰省ができたときには遺影のみになってしまっているだろう。お墓参りに行ける日はいつになるのか全くわからないが、今は自分の体調管理に気をつけて過ごすことしかできない。帰省して遺影を見たタイミングが最もメンタルにきそうな気がしている。

 

帰省した方が非難されるケースが出ているが、これを逃したらもう会えないかもしれないという場合がある。我が家のように大半の親族が近くに住んでいる家ばかりではないだろう。全てを一概に批判する空気が醸成されませんように。そしてこうした最期のお別れをしなければならないケースが、一刻も早くなくなりますように。

 

お盆休みでも帰省も旅行もできず時間だけがあるジャニオタの長文記録をここまで読んでくださりありがとうございました。

 

嵐の中をかき分けていく小さなカイトよ

悲しみを越えてどこまでも行こう

そして帰ろう その糸の繋がった先まで