前歯の指す方向

もう一度あの日に戻るとしても 同じ路選ぶだろう

今日のキャラメルは何味なんだろう

最近原稿用紙2枚ほどの文章(エッセイ的なもの)を書く機会があった。

 

「内容も書き方もユニークで私がここまでびっくりしたんだから、社内の人全然あなたの良さ知らないと思う」

 

部署が違うけれど、仕事以外の話をすることが多い先輩が感想をくれた。

 

社内で極めて根暗で大人しくて何をしているかわからない自分に対してのお世辞なのはわかっているし、気を遣ってくれたんだろうけれど、その人ひとりだけにでもなんとなく「自分はこんな人間だよ」っていうのが伝わったのが嬉しかった。

 

いつからか自分を伝えることが大の苦手になった。リアルな場で「これできます」「あれが好きです」「こんなことに興味があります」と発することができない。誰かが自分の興味のあるもののの話をしていても、「わかる!」と飛び込んでいくことができずに聞き役になるだけだ。

 

高校時代ずっと一番仲良かった友人が、私が嵐を好きなことをきちんと把握したのも、大学に入ってからだった。好きなことはわかっていたけれど、極めてライトなものだと思っていたと。

 

なぜ苦手なんだろうと思うと、自分に自信がないことに帰結してしまう。自分が興味のあることや好きなものを明言することで、それを聞いた人にとってそのこと(もの)すらもダサいと思われてしまうのが悲しいからだ。この歳になってようやく自覚したけれど、どうやら病的なまでに自信がない。

 

数ヶ月前「何を考えているかわからないし、熱意が伝わらない」とまで言われてしまった。外面が省エネだと100%省エネだと思われてしまうらしい。いつでもトラブルを引き起こして大袈裟に騒いでいた方が伝わりやすいみたいだ。そっかそっか。

 

「じゃあいいです」この一言で会話を終わらせてしまった。もし内面が伴っていなくても外面を盛りに盛ることが自分にはできない。伝わらないならそれでいい。

 

社内でリモート懇親会が開かれた時だった。自分の頭上にトートバッグがかかっているのが見切れていて、「何が入ってるの?落ちない?」と聞かれたので、実はアイドルが好きでコンサートのペンライトがいくつか入っていることを伝えた。

 

すると「いつまでそういうアイドルが好きなの?」「○○さんはステイホーム期間中にキーボード買って楽しんでるみたいだよ。楽器でもやれば?」「読書とかもしなさそうだもんね、ずっとアイドル見てるの?」と次々とご質問とご意見を頂戴してしまったのだ。

 

ご期待に添えないようで申し訳ないけれど、部屋には社会人になってからずっと電子ピアノがあるし、読書が嫌いな人が図書館司書の資格までとるだろうか。この人たちは私の何を知ってるつもりなんだろう。

 

「アイドルが好き」と言っただけだったのに。頭上のバッグに入っているペンライトを思い浮かべて、ステージを楽しませてくれた彼らに申し訳ない気持ちにすらなってしまった。

 

好きなことを伝えるのが苦手な自分でも、振り返れば長いこと一緒に楽しみを共有してもらっていた師匠がいる。先日の配信後に「国立競技場で一緒に見たかったね。来年になってもお付き合いくださいね」とメールが来てしんみりしてしまった。大晦日も一緒に過ごすことはかなわないだろう。コロナ許すまじ。

 

頑なに自分の好きを隠しているわけではない。自分が好きなものと自分を守るために、共有の範囲を設定しているだけなのだ。共有しようとも思わない対象もいれば、不透明な来年以降も共有したいと思う人だっている。

 

少し伝えただけでなぜかご意見を頂戴してしまうこともあれば、ちょっとした文章で「自分」をちらつかせたらそれを良さだと思ってもらえることもある。たまには勇気を出して好きを開放するのも悪くない。(ちなみにその文章は終始アイドルについて語っているものではないのであしからず)

 

先日、ようやく短い「夏休み」を取得した。その時に買ったキャラメルの箱がある。ひとつずつ味が違う8粒のキャラメルが入っている。バラで買った方が安いのはわかっていたけれど、せめてもの自分への労いとしてかわいい箱に入ったセットを買ってみた。

 

12月1日から1日一粒食べている。何ともないことだけれど、今の自分が1日の終わりに楽しみにしていること。これは誰にも言っていない。でもこんな楽しみがあることが幸せで、ここでちょっと開放してみたいと思った。ただそれだけの文章。

 

今日のキャラメルは何味なんだろう。