前歯の指す方向

もう一度あの日に戻るとしても 同じ路選ぶだろう

もう届かないかもしれない手紙を送った

「9月13日の0時にタッキー&翼からお知らせがある」

 

私がTwitterでこの文字を目にしたのは9月12日の23:36、職場の飲み会から帰る電車の中だった。飲み会はとても楽しくてLINEグループまで作られたほどだったのに、一人乗り換えて青い鳥のアイコンを開いた途端、その余韻はさっと消えてしまった。

 

タッキー&翼のファンクラブに入ってないので、お知らせの告知も、お知らせそのものも自分の目で見ることはできないのに、吊革につかまって立っていることすらも辛くなった。

 

二人の活動を再開させるという良いお知らせではなく、悪い予感しかできなかったのは、少し前からの週刊誌報道やネットに流れてきていた不穏な噂に影響されていたのだと思う。

 

0時ちょうどまであと20分。ギリギリ家につける計算だった。

 

家につくと23:56。自然と正座になっていた。ここまでかしこまって機械の前で何かの発表を待つのは、10年前の大学受験の合否発表以来だったかもしれない。

 

目の前にあるテーブルの上には9月9日に書いてから置きっぱなしになっている一通の手紙。勇気がなく出せないまま数日がたっていた。宛先は

 

ジャニーズファミリークラブ 今井翼

 

 

2014年、仕事中に見たネットニュース。翼くんの名前とともに書かれていたのは、私が21歳頃に診断されたものと同じ病名だった。私は入院するほどの重症ではなく、社会人になる頃には頻度がぐんと低くなっていたものの、それでもいつ発症するかわからない。

 

遠出するのが怖い。いつ迷惑をかけるのかわからないから人と過ごすのが怖い。でも周りからは全然わからない。家族と発症した現場を見ている友人だけには伝えていても、正直理解していないだろう、というより発症しない限り日常生活に支障はほとんどないため、忘れている気がする。大学の期末試験の朝にめまいを起こして受けられず、単位を落としたこともあった。

 

だから、翼くんには親近感をもってしまって、休養を経て出演したカウントダウンコンサートを、勤務中に会社のテレビで見て嬉しくなった。同じ病を持つ一人の人として表舞台で進化していってほしかった。

 

翼くんの復帰から半年後、私はプライベートも仕事もズタボロで症状が出始めた。ストレスが原因といわれるものの、あまりにもあからさますぎて笑ってしまった。本当はまあまあ辛かった。

 

「さよなら!青山劇場」が映像化されたのはそんな最中。ステージに復帰して、青山劇場最後の座長という大役を果たした翼くんの姿を見たくて購入し、ラストに差し掛かった頃「魔の曲」が登場した。

 

私はPLAYZONEを劇場で見たことはないけれど、実は「Guys PLAYZONE」を東京ドームで聴いたことがある。

 

2011年から2012年のカウントダウンコンサート。タッキーが劇場からの中継をしていた頃で、テレビ放送前に翼くんが一人で現れ(いま振り返ると翼くんは一人ではなくふぉ〜ゆ〜と一緒だったのだが)「Guys PLAYZONE」を歌ったのだ。

 

いや、その時曲名はわかっていなかった。

 

隣の席の子が、それまで誰が登場しようと微動だにせずつまらなさそうに立っていたのに人が変わったかのようにイキイキして「ガイズプレイゾーーーーーン!!!!!!!!」と大声で叫び出した恐怖。「タイトルがわからない魔の曲」(ハリーポッターでいう名前を言ってはいけないあの人みたいな)となった曲と、2015年ズタボロ状態の自分は再会した。

 

舞台で踊る翼くんは希望だった。プレゾンのDVDを買い集めて何度も何度も見た。サントラも購入し、目覚ましのアラームは「Guys PLAYZONE」になった。 

 

医者が言う「ストレスを減らした生活」なんて難しい。だって何がストレスなのかわからないんだから。でも回復できるように自分が変わることにした私は、「無理すること」をやめた。中学時代から就きたかった仕事を手放す覚悟を決めて、誰にも言わず転職活動をした。引越しもした。社内でも有名な地雷みたいな人と仕事させられ続けて症状が悪化した。転職先の上司にはきちんと相談した。「あの子、仕事あんまりやってない」と陰で思われようと無理な残業はやめた。嫌な思いをする人間関係に無理して付き合うことはやめた。一方的に傷つくようなSNSを無理に見るのはやめた。

 

薬はものすごくまずいし、症状は天候にも左右されるけど、すすめられた有酸素運動を始めた。ウォーキングやジョギングもするようになった。BGMのプレイリストには「Guys PLAYOZNE」と「REAL DX」。プールに通うようになった。ふくよかメンズさんの平泳ぎキックによって前進を阻まれ、コースギリギリに流される自分。

 

 

日付が9月13日に変わって10分ほどたった頃から、情報が流れ始めた。9月10日にタッキー&翼が解散していたこと。そして滝沢秀明くんは年内いっぱいで表舞台から引退しプロデューサーになり、今井翼くんは事務所を辞めること。

 

視界がぼやけて画面の文字が何も読めなくなった。

 

「“無理をしないこと”を頑張ったらこの夏は症状が弱まった。一生うまく付き合うしかないけれど負けずに毎日を楽しみたい。活動再開したらコンサートに行きたい。舞台も観に行きたい。難しいかもしれないけれどGuys PLAYZONEも観たい。勇気をもらいました。ありがとうございます。」

 

そんな気持ちで手紙を書いた。ジャニーズを好きになって20年弱、アイドルへしたためた3通目のファンレターだった。しかし書いた翌日に解散していた。そして翼くんは事務所を辞める。

 

ファンクラブにも入っていない人間が何を言ってるんだって思われるかもしれないけれど、自分が一人のアイドルに対してこんなに泣くことがあるのかって驚くほど涙が止まらなかった。ジャニーズファンとしても、それ以上に同じ病気をもつ仲間としても、ひっそりと終わってしまっていたことがやるせなかった。

 

いつも私は自分の気持ちを伝えるのが遅すぎる。そんなの何度も経験して、後悔してきたのに、性懲りも無くまただ。感謝を伝えたかったのに、数日のうちに行き場のない手紙となってしまった。

 

そんなことをTwitterで吐露してしまったら、仲良くしてくれているお姉さんが「後悔しないためにも送ろう!」と励ましてくれた。追伸として1枚便箋を追加してポストへ投函した。

 

報道されるのは「タッキーが引退してジャニーさんのプロデューサー業を継ぐ」という内容が大きかったけれど、ネットを見るとメニエールをもっている人が同じように勇気をもらっていたことに気づいた。手紙が本人に届いたのか、事務所の人によってでもいいけれど封が開けられたのか、知る術はない。でも、翼くんの姿に励まされた人がたくさんいたことを、何かのきっかけで本人が知ってくれたらいいなあと思う。

 

翼くんありがとうございました。新しい道が幸せなものでありますように!そして同じ病をもつ人たちも自分も幸せになれますように!